カレー考(2)
日本にカレーが入ってきたのは、
「流行ったから」でも
「おいしかったから」でもない。
必要だったからだ。
ここを押さえないと、
日本人とカレーの関係は見えてこない。
文明開化とカレーは、あまり関係がない
明治時代、日本には大量の西洋文化が流れ込んだ。
パン、牛乳、ビフテキ、コロッケ。
いわゆる「洋食」の多くは、この時代に日本へやってきている。
その中に、カレーもあった。
ただし、
当時のカレーは流行の最先端ではない。
ハイカラな料理でもなかった。
むしろ、
地味で、実用的で、目立たない存在だった。
それなのに、
なぜ日本はカレーを受け入れ、
結果的に国民食にまで育てることになったのか。
日本に来たカレーは、インドの料理ではない
まず重要な前提がある。
日本に伝わったカレーは、
インドから直接来たものではない。
イギリス経由だ。
イギリスは植民地政策の中で、
インドのスパイス文化を取り込み、
自国の料理にアレンジしていた。
その結果生まれたのが、
- 小麦粉でとろみをつけ
- 煮込み料理として成立し
- ごはんやパンと一緒に食べる
「イギリス式カレー」だった。
日本が最初に出会ったカレーは、
すでに“ヨーロッパ化された料理”だった。
なぜ軍隊がカレーを選んだのか
カレーが本格的に日本で使われ始めた場所。
それは、家庭でも飲食店でもない。
軍隊だった。
理由は、驚くほど合理的だ。
- 大量に作れる
- 栄養を一皿でまとめられる
- 味がブレにくい
- 多少冷めても食べられる
兵士の食事として、
これ以上都合のいい料理はなかった。
特に海軍では、
長期航海中の栄養不足が深刻な問題だった。
白米中心の食事によって起こる脚気。
それを防ぐため、
肉や野菜、小麦粉を使うカレーは極めて合理的だった。
カレーは、
「おいしいから」ではなく
「必要だから」選ばれた。
「同じ味を、同じ日に、同じ人数で」
ここで、
後の日本カレー文化につながる重要な性質が生まれる。
軍隊での食事は、
個人の好みを前提にしていない。
- 同じ鍋で
- 同じ料理を
- 同じ時間に
- 大人数が食べる
この環境では、
料理に求められるのは個性ではなく、安定だ。
カレーは、この条件に完璧に合っていた。
結果として、
「基準となる味」が自然に作られていく。
これが、
後に日本人がカレーを
「こういうもの」と感じる原型になる。
なぜ日本人は、拒否しなかったのか
外国の料理が、
軍隊という特殊な場所で使われるだけなら、
そのまま消えてもおかしくない。
だが、カレーはそうならなかった。
理由は、日本の食文化側にもある。
- 煮物や汁物に慣れていた
- ごはんに何かをかける文化があった
- 味に「絶対の正解」を求めない
カレーは、
日本人にとって「未知」ではあったが、
「異物」ではなかった。
少し変わった煮込み料理。
少しスパイスの効いた汁。
そのくらいの距離感だった。
家庭に入る前に、もう慣れていた
軍隊でカレーを食べた人たちは、
やがて社会に戻っていく。
全国各地へ散らばり、
家庭を持ち、
日常生活へ戻る。
その時点で、
カレーはすでに「知っている味」だった。
つまり、
家庭に入る前に、
日本人の口はもう慣れていた。
これは大きい。
新しい料理が家庭に定着するには、
「初体験」が障壁になる。
カレーには、それがなかった。
好きになる前に、慣れていた
ここまでを整理すると、
一つの構図が見えてくる。
- 必要に迫られて導入され
- 集団で繰り返し食べられ
- 基準の味が作られ
- 全国に広がった
この流れの中で、
カレーは「選ばれる料理」になる前に、
「慣れる料理」になっていた。
好きか嫌いかを判断する前に、
もう生活の中に組み込まれていた。
第一回で触れた
「当たり前すぎる料理」という感覚は、
すでにこの時点で仕込まれていたのだ。
===
ただし、
軍隊だけでは国民食にはならない。
決定的な役割を果たした場所が、
もう一つある。
次回は、
その場所の話をする。
学校給食。
日本人が
「みんな同じカレーを食べた」
最初の記憶が、
そこにある。


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