カレー考(1)
「当たり前すぎる料理」カレーの正体
気づくと、今週もカレーを食べている。
家で作ったカレーかもしれないし、外食かもしれない。
レトルトで済ませた日もあったかもしれない。
それでも、「カレーを食べた」という事実だけは残る。
不思議なのは、
それを特別な出来事として、ほとんど誰も意識していないことだ。
「またカレーか」と思うことはあっても、
「カレーを食べたな」と日記に書く人はいない。
カレーは、日本人の生活にとって
あまりにも当たり前すぎる料理になっている。
日本人は、どれくらいカレーを食べているのか
数字で見ると、この当たり前は少し異常だ。
家庭のカレー、外食のカレー、レトルトカレーをすべて含めると、
日本人は平均して「週1回以上」カレーを食べていると言われている。
年間にすると、70〜80回前後。
これは、
「好きな料理ランキング」では説明しきれない頻度だ。
ラーメンや寿司のような外食の定番でも、
ここまで生活に組み込まれている料理は多くない。
カレーは、
食べたいから食べているというより、
「気づいたら食べている」料理に近い。
ここが、まずおかしい。
最初のカレーを、覚えていないという事実
一度、考えてみてほしい。
自分が初めて食べたカレーは、どこだっただろうか。
家だった気もする。
学校の給食だった気もする。
もしかすると、外食だったかもしれない。
でも、多くの人は
「これが最初だった」とはっきり言えない。
なぜなら、
カレーはほとんどの場合、
物心がつく前から、すでに生活の中にあったからだ。
好きになる前に、
嫌いになる前に、
もう食べていた。
これは、他の料理ではあまり起きない。
ハンバーグやピザには「初めて食べた記憶」がある人も多い。
でも、カレーは違う。
カレーは、
日本人にとって「選んだ料理」ではなく、
「最初からそこにあった料理」なのだ。
家庭ごとに味が違うのに、誰も困らない
もう一つ、不思議な点がある。
カレーは、家庭ごとに味が違う。
具材も違えば、
甘さも辛さも、
とろみの強さも違う。
それなのに、
「それはカレーじゃない」と言われることは、ほとんどない。
むしろ、
「うちはこういうカレー」
「この家のカレー、ちょっと違うね」
と、違いそのものが受け入れられている。
正解が一つではない料理が、
ここまで国民的になるのは、かなり珍しい。
これは、本当にインド料理なのか?
ここで、少し視点をずらしてみる。
日本で食べているカレーは、
本当にインド料理なのだろうか。
- ごはんにかける
- とろみがある
- 甘口が存在する
- 家庭料理として成立している
インドの人がこのカレーを見たら、
おそらくこう言う。
「これはインド料理ではない」
実際、日本のカレーは
インドで日常的に食べられているカレーとは、かなり別物だ。
それでも日本人は、
この料理を疑いなく「カレー」と呼び、
長年食べ続けてきた。
ここには、
「本場かどうか」をあまり気にしない、日本人の感覚がある。
なぜ、こんなにも自然に受け入れられたのか
外国から来た料理が、
ここまで深く生活に入り込むことは、そう多くない。
しかもカレーは、
- 子どもも食べられる
- 大量に作れる
- 失敗しにくい
- 翌日もおいしい
という性質まで手に入れている。
これは偶然ではない。
日本人がカレーを好きになった、というより、
カレーが「日本人に合う形」に変わっていった。
そう考えたほうが、ずっと自然だ。
実は、最初から家庭料理ではなかった
ここで、一つだけ重要な事実を置いておく。
カレーは、
最初から「お母さんの料理」ではなかった。
最初は、
もっと違う場所で、
もっと違う理由で食べられていた。
しかもそれは、
個人ではなく、
集団で、
定期的に、
同じ味を食べる場所だった。
そこで「慣れ」が生まれ、
そこで「基準」ができ、
そこから家庭へ降りていった。
当たり前になるまでの、長い準備期間
私たちは、
カレーが好きな理由を考えるとき、
つい「味」の話をしてしまう。
でも本当は、
味よりも前に、
環境が整えられていた。
食べる回数、
食べるタイミング、
食べる年齢。
それらが揃った結果として、
カレーは「好き嫌いを超えた料理」になった。
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次回は、
その始まりの場所の話をする。
明治の日本で、
なぜカレーが選ばれたのか。
なぜ、
大量に、
同じ味で、
食べられる必要があったのか。
日本人とカレーの関係は、
そこから本格的に動き出す。


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