日本人はなぜカレーが好きなのか(6)
カレーは、
長いあいだ「みんなで食べる料理」だった。
大鍋で作り、
家族全員で同じものを食べる。
一人分だけ作るには、少し重い料理だった。
その前提を、
静かに壊したのがレトルトカレーだ。
カレーは「鍋前提」の料理だった
第4回で見たように、
家庭のカレーは鍋料理として完成した。
- 家族分をまとめて作る
- 翌日も食べる
- 一人分だけ、は想定していない
この構造は、
家族が同じ時間に食卓を囲むことを前提にしている。
だが、
その前提自体が少しずつ崩れ始める。
食卓が、同時に揃わなくなった
高度経済成長以降、
日本の生活は大きく変わった。
- 共働き世帯の増加
- 単身世帯の増加
- 帰宅時間のばらつき
「夕食を一緒に食べる」ことが、
毎日の前提ではなくなっていく。
それでも人は、
ちゃんとした食事をしたい。
このズレに、
レトルトカレーが入り込む。
レトルトは「味」ではなく「形式」の発明だった
レトルトカレーの革新性は、
スパイスでも、味の深さでもない。
一食が、最初から完結していることだ。
- 温めるだけ
- 失敗しない
- 一人分が最初から用意されている
これは、
料理そのものというより
食べ方の発明だった。
「一人分」が、正当な食事になる
それまで、
一人で食べるカレーには、
どこか言い訳が必要だった。
「昨日の残り」
「仕方なく」
「簡単に済ませる」
レトルトは、
その空気を変えた。
- 一人分として設計されている
- 商品として成立している
- 手抜きに見えにくい
カレーは、
一人で食べてもいい料理になった。
これは、
かなり大きな変化だ。
家庭料理でも、外食でもない場所
レトルトカレーは、
どちらでもない。
- 外食ほど重くない
- インスタントほど簡易ではない
- 家庭の鍋とも違う
この中間的な立ち位置が、
現代の生活に合っていた。
疲れている日。
何も考えたくない日。
それでも、
「ちゃんと食べた」感じは欲しい。
その要求に、
カレーは応えた。
孤食に耐えられる料理
多くの料理は、
一人で食べると、どこか寂しい。
だが、カレーは違う。
- 匂いが強い
- 温かい
- 満足感が高い
一皿で完結し、
感情的にも空白が少ない。
カレーは、
孤食に耐えられる料理だった。
国民食は、生活に合わせて形を変える
ここまで見てくると、
一つの流れがはっきりする。
- 軍隊で合理化され
- 給食で全国に広がり
- 家庭で定番になり
- レトルトで一人に対応した
カレーは、
その時代の生活に合わせて
姿を変えてきた。
変わったのは形であって、
役割ではない。
「とりあえずカレー」という安心
今も多くの人にとって、
カレーはこういう存在だ。
- 失敗しない
- 考えなくていい
- 満足できる
レトルトは、
この安心感を
一人ひとりに配った。
だから今でも、
カレーは強い。
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専門店、
スパイス、
ご当地、
個性。
次に始まるのは、
選べるカレーの時代だ。
次回は、
国民食が「多様化」とどう向き合ったのかを追う。
「専門店・スパイス・多様化の時代」
カレーが“みんな同じ”であることを
やめ始めた話だ。




