カレー考(7)カレーは、みんな同じであることをやめた

カレー考

日本人はなぜカレーが好きなのか(7)

気づけば、
カレーは一つの料理ではなくなっていた。

欧風カレー。
インドカレー。
スパイスカレー。
家庭のカレー。
レトルトカレー。

同じ「カレー」という名前なのに、
中身はまるで違う。

それでも私たちは、
その違いにあまり戸惑っていない。

いつの間にか、分かれていた

昔は、
カレーといえばだいたい同じものだった。

ごはんにかかっていて、
とろみがあって、
茶色くて、
甘口から中辛。

少なくとも、
「これはカレーじゃない」と
言いたくなるものは少なかった。

ところが今は違う。

さらさらのスパイスカレーも、
ナンと食べるカレーも、
全部まとめて「カレー」と呼ばれている。

この雑さは、
実はすごいことだ。

専門店ブームは、突然起きたわけではない

カレー専門店が増え始めたとき、
多くの人はこう感じた。

「カレーって、外で食べるものだったっけ?」

でも、
専門店が成立した理由ははっきりしている。

カレーはすでに、

  • 味を想像できる
  • 外しても致命傷にならない
  • 食事としての安心感がある

料理になっていた。

家庭、給食、レトルト。
あらゆる場面で慣れきった料理だからこそ、
外で食べる選択肢が生まれた。

スパイスカレーという、逆方向の進化

その中でも特に異質だったのが、
スパイスカレーだ。

  • 辛い
  • さらさら
  • 具材が主役
  • 作り手の思想が前に出る

これは、
甘口・均一・安心
という日本カレーの文脈とは、真逆に見える。

それでも、
スパイスカレーは「カレー」として受け入れられた。

なぜか。

日本人は、カレーの定義が広い

理由は単純だ。

日本人にとって、
カレーは最初から
「正解が一つの料理」ではなかった。

家庭ごとに味が違い、
給食と家でも違い、
外で食べればまた違う。

違っていても、
どれもカレーだった。

この感覚があったからこそ、

  • ルウでもいい
  • スパイスでもいい
  • 欧風でもいい

という受け止め方ができた。

排他的でない料理

多くの料理ジャンルは、
線引きが厳しい。

「それは本物じゃない」
「邪道だ」
という言葉がすぐに出てくる。

だが、カレーは違う。

異なる方向に分岐しても、
どれも排除されない。

その象徴のような存在が、カレーうどんだ。
うどんに、カレーをかける。
それだけなのに、
誰も大きな違和感を覚えない。

インド料理でも、欧風料理でもない。
和食なのかと言われると、それも少し違う。

それでも私たちは、
迷わずそれを「カレー」と呼ぶ。

カレーは、
境界線を引くのではなく、
曖昧にしながら受け入れてきた料理だった。

「好きだから選ぶ」段階へ

ここで、
第1回の問いに戻る。

なぜ日本人は、
こんなにもカレーが好きなのか。

答えは、
この段階で変わる。

もう刷り込みではない。
制度でもない。
生活の都合だけでもない。

「今日はこれが食べたい」

カレーは、
能動的に選ばれる料理になった。

それでも「カレー」は一つのまま

これだけ分かれても、
不思議なことに、
カレーは分裂しきらない。

名前は同じ。
ごはんにかける人も多い。
どこかに安心感が残っている。

多様なのに、
バラバラではない。

国民食の、成熟した姿

ここまで来ると、
カレーは完成形に近い。

  • 強制されない
  • 選ばれる
  • でも誰も排除しない

国民食でありながら、
個人の好みに委ねられている。

これは、
かなり成熟した文化の姿だ。

それでも、
日本人はまだカレーを食べ続けている。

時代が変わっても、
生活が変わっても。

最後に考えたいのは、
この先だ。

次回は最終回。

「それでも、私たちはカレーを食べる」

なぜ未来でも、
きっとカレーは残り続けるのか。

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