カレー考(8)それでも、私たちはカレーを食べる(最終回)

カレー考

日本人はなぜカレーが好きなのか(8)

ここまで、
日本人とカレーの関係を、
歴史、制度、家庭、記憶、生活、選択という視点で追ってきた。

理由は、もう十分に語ったはずだ。

それでも、
今日も私たちはカレーを食べている。

説明できてしまったはずなのに

なぜ日本人はカレーが好きなのか。

軍隊で合理的だったから。
給食で刷り込まれたから。
家庭で定番になったから。
甘口で嫌われにくかったから。
レトルトで一人でも成立したから。
多様化して選べるようになったから。

どれも正しい。

けれど、
それらをすべて理解したあとでも、
「じゃあ今日はやめておこう」とは、
なかなかならない。

カレーは、理由の外に出た

多くの料理は、
食べる前に理由がある。

  • 栄養があるから
  • 安いから
  • 流行っているから
  • ちゃんと作ったから

でもカレーは違う。

理由を考えなくても、
選択肢に残り続ける。

冷蔵庫の奥にある。
棚の中にある。
外食のメニューにもある。

カレーは、
選ばれる料理を通り越して、
背景の一部になった。

正解がないことが、正解だった

ここまで生き残った最大の理由は、
カレーに「正解」がなかったことだ。

  • こう作らなければいけない
  • こう食べなければいけない
  • これは本物ではない

そういう線引きが、
ほとんどない。

ルウでもいい。
スパイスでもいい。
ごはんでも、うどんでもいい。

うまくいかなくても、
だいたい許される。

このゆるさは、
現代の生活と相性がいい。

変わり続けたから、残り続けた

カレーは、
一度も完成しなかった。

軍隊の合理食から始まり、
給食になり、
家庭料理になり、
一人の食事になり、
多様な選択肢になった。

そのたびに、
形を変えた。

「こうあるべき」を固定しなかったからこそ、
どの時代にも入り込めた。

好きかどうかすら、考えなくていい

面白いのは、
多くの日本人が
「カレーが大好き」と
わざわざ言わないことだ。

嫌いではない。
でも、特別に語るほどでもない。

それでも、
定期的に食べている。

カレーは、
好みの問題を超えて、
生活に溶け込んだ料理だ。

国民食の、その先

国民食という言葉には、
どこか重さがある。

でも、今のカレーは、
誰かに強制される国民食ではない。

食べてもいいし、
食べなくてもいい。

それでも、
自然に戻ってくる。

流行でもなく、
伝統でもなく、
生活そのものとして。

今日も、特別じゃないカレー

忙しい日。
何も考えたくない日。
失敗したくない日。

そんな日に、
カレーはちょうどいい。

特別じゃない。
でも、ちゃんと満たされる。

たぶん、
これからもそうだ。

理由を探さなくなったあとも、
私たちはきっと、
またカレーを食べる。

それが、
この国でカレーが生き残った
いちばん静かな答えだ。

日本人はなぜカレーが好きなのか(カレー考)
なぜ、日本人はこんなにもカレーを食べ続けているのか。好きかどうかを考える前に、いつの間にか生活の中にある。このシリーズで...
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